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もちろん、七六平方メートルというのは、まだまだ戸建住宅に比べると手狭だが、分譲マンションの平均床面積よりほんのちょっと広めだ。
借り手の強制収用を許している標準的賃貸契約で供給されている貸家の平均床面積が四七四八平方メートルなのに比べると、天と地ほども違う。
戦前、もう少し厳密にいうと、一九四一年に貸家の賃貸借契約に正当事由というような、異常にテナントの「居住権」を尊重した条項が盛り込まれるまでは、日本の大都市に住む世帯の入01八五パーセントは貸家に住んでいた。
大企業の部長、課長クラスや、大学教授なんて人たちも、立派な広さの二戸建ての貸家に住んでいるほうが、自分の持ち家に住んでいる世帯より多かったぐらいだ。
正当事由というのは、大家が契約期限の切れたテナントに出て行ってもらうためでさえ、大家の側に、「自分自身がいままで貸家として使っていた家に住まなければいけない事情が生じた」というような「正当な理由」があるときだけ、テナントに出て行ってもらうことができるという、近代的な契約の概念ではまったく説明のしようのない条項だ。
「出征した兵士の留守家族が家賃を払えない程度のことでどんどん住んでいる家から追い出されていたら、戦場の士気が低下する。
だから、それだけは防がなければならない」といった切羽詰まった事情で大日本帝国の政府が考え出した、でたらめな「法理論」なのだ。
その珍妙な法理論に戦後五年以上順調な経済活動が続いていた国が縛られているのだから、これはもう不思議を通り越して愚鈍としか言いようがない。
この「正当事由」にもとづくテナントの居住権保護を肯定する借地借家法はいまでも生きている。
だから、大家とテナントが合意にもとづいて、定期借地権とか定期借家権とかの新しい借地・借家概念にもとづく賃貸借契約を選ぱなければ、いまだにいったん借家に住みついたテナントは世間並みの賃貸料が払えないとか、払えるけど払わないなんてずうずうしい人間でも、平然と居座"ることができる仕組みになっている。
それではなぜ、こんなに大家にとって不利な現在の借地借家法を擁護するようなことを言う人聞が、大家の側にも出てくるのか。
戦後五年以上にわたってテナントの「居住権」があまりにも手厚く保護されてきたため、日本では貸家の、とくに広くて高級な貸家の供給量が、圧倒的に不足し続けていた。
だからこそ、狭くて安っぽい貸家を供給する大家でも、十分商売になってきたわけだ。
もし、定期借家権が広く普及して、大家は広くて高級な貸家でも居座られ損にならずにどんどん貸せるようになってしまったら、日本の貸家市場にどんな変化が起きるだろうか?「一生住んでもいい」と思えるような広くて立派な貸家の供給が増える。
そうなると、いちばん大きな被害をこうむるのは、狭くて安っぽい貸家ばかり持っている現在の貸家オーナーの大部分ということになる。
だから、「定期借家権はテナントにとってまったくメリットのない契約形態なので、普及しないだろう」なんて議論に耳を貸してはならない。
そんなことをいっているのは、狭くて安っぽい貸家を経営して、安定した利益を上げてきた犬家だけのはずだ。
テナントにとっては、自分が法律を守る人間であって、大家に「出て行ってくれ」と言われでも強引に同じ家に住み続けるような人間ではないということを、正規の法律的な文書である賃貸借契約書にきちんと書き記しておくことには、計り知れないほど大きな得がある。
いままでは供給されていなかったような、広くて質のいい貸家の供給を促進するという効果があるからだ。
問題は、新しく供給された借家の七六・四平方メートル怖という床面積に対して、一四万五000円という家賃が適別当かどうかだ。
東京都内ではあるけれど、とりたてて好立性地というほどのことはない、というのがこうした大型貸家凱の平均的な姿だろう。
しかし、それはたとえば代官山で(といっても駅から歩いて二二分もかかる場所だ)一四・五平方メートルのワンルームが七万四000円の家賃を取っているのと比べて割高だろうか?そもそも代官山のワンルームマンションそのものが、べらぼうに高すぎるという感想を持つ人が多いだろう。
だが、本当にそうだろうか?この数字は『A』の二一年一月二四日号に出ていた世界各地の大都市のワンルームマyシヨンの面積と家賃を比べた特集記事から引用している。
外国の大都市との比較は、以下のようになっている。
ぼくは、若い女の子にとって代官山のワンルームの七万四000円は、代官山が世界中で他に比べるもののない良好な住環境だということを考えると、ぜんぜん高くないと回志う。
パリのサンジエルマン地区はまあいいとして、ロンドンのイスリントンにしても、ニューヨークのソーホーにしても、場所自体は決してきれいでも華やかでもない。
ソーホなんか、すぐそばのピレツジが本当に成熟した住宅街なのに比べると、殺伐とした工場・倉庫街をなんとかうまく転用しているだけだということは、だれでもすぐ気がつく。
そして、ソーホーでさえ二三平方メートルで一六万円という家賃を取るぐらいだから、ピレッジとなると、まさに目の玉が飛び出るような家賃を出しても、小さな窓がたったひとつしかない屋根裏の小部屋なんてことはザラだ。
そして、代官山の商店街に店を出している経営者の六、七割は、なんとか若い女の子を相手に趣味のよさ、品揃えの工夫を感じきせようと努力している。
そんなに客筋を絞って努力している店が並んでいる街などというものは、東京都内にほかに五、六か。
あるだけで、世界中よその固にはまったく存在しない。
それが若い女の子たちにとってどんなに深刻な問題か、山口瞳はこう書いている。
豚だと少女が叫んだ。
「アメリカ豚だ。
アメリカ人は豚だ」と少女が泣き叫んだ。
日本の商社に派遣されたアメリカ夫婦がいる。
この夫婦が女の子を生んだ。
アメリカは、麹町あたりの家賃月額百万円という超豪華マンションに住む。
原宿が近い。
女の子は小学生になり中学生になる。
原宿に行くなと言うほうが無理だ。
女子中学生にとって、原宿は夢の世界である。
アメリカ少女が、これが町だと思い込んでしまったとしても、誰も谷めることはできないだろう。
父がアメリカ本社に呼び戻される。
すると、どうなるか。
アメリカいうのは巨大な田舎町である。
あたり一面、田舎だらけである。
ロスだシスコだ西海岸だと言ったって、一歩町を出れば田園地帯である。
いや、荒野である。
まして、日本の東京の町しか知らなかった少女が帰って行ったのは、アメリカ内陸部だった。
アメリカ豚だ、アメリカは豚だと少女が泣き叫んだのを、僕は、自分のことのようにして実感することができる。
たとえば、一本のサインペンでもいい。
黒、赤、育、緑、黄、茶、白(白だつであるんだ)、色さまざま、スタイルさまざま、意匠さまざま、仕掛けいろいろ。
原宿の文房具店へ行けば、圧倒されるばかりに、これが並んでいる。
メーか。
が競い合っている。
たとえば、一箇の消しゴムでもいい。
千差万別なんてもんじゃない。
しかるに、しかるにだ、イリノイ州の田舎町、文房具屈に行くのに自動車を飛ばして一時間なんて所へ放り出されたら、少女は、アメリカ豚だと泣き叫ぶよりほかに何があろうか。
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